ラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』を見た。
物語の終盤、ギャングが町を焼き払うシーンになってやっと、この町はソドムなのだと気づいた。そしてこの町が表象する実世界もまたそうであると。僕らは檻の中の犬であり“アンチクライスト”なのだ。
トリアーの作品を見たあとは決まって「人間など滅びてしまえ」といったやけくそな気持ちになる。
もし今夜、人類がいっぺんに滅ぶなら。僕のもとにだけあしたがやってくるなら。そしたら僕は、家具通りまで毛布を引っ張って行って、だだっ広い通りの真ん中に座って夕暮れが訪れるのを待つだろう。
バス停の脇のベンチでタバコを吸いながら、くだらない想像をする。通行人が僕に一瞥をくれ、煙たそうな顔をして去っていった。
僕はどこへも行けずに一生を終える。きっとそうだ。誰もがきっとそうなのだ。